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冗談ではないです。今回はAmaitsukiメンバーの最近発見を紹介したいと思います。日本語で歌えるパリ中心のカラオケボックスです。 数ヶ月前から、Amaitsuki がよくSNSにカラオケでの映像を投稿しいると皆さんが気付いたかもしれません。好奇心を持ち始めた方々が増えたので、コンサートカラオケボックスについて記事を書こうと思いました。 [embedyt] https://www.youtube.com/watch?v=Be-Rczsq7dA[/embedyt] 「Châtelet-les-Hallesから10分歩いて、日本語で歌えるカラオケボックスって、聞いたことないな...

物語は2018年4月25日に始まりました。アンジュルムのパリ公演前、6月2日に、踊ってみた映像を撮影する予定でした。ただし、33 Degreesからすごく驚いた発表がありました。それは、コンテストで勝つアマチュアグループはアンジュルムパリ公演のオープニングアクトをやらせていただくことです。しかも、ラ・シガルという会場なので、600人以上のハロプロファンの目の前に踊るチャンスでした。ビデオを送る締切は5月10日となったので、数月前撮影したJuice=Juiceの「Fiesta ! Fiesta !」で参加することにしました。 せっかくなのでなぜ新しいダンスを撮影しなかったのかというと、それはAmaitsukiのメンバーがフランスのいろんな所に住んでいるからです。そして、5月は大学生の試験時期だから、集まるためとても難しかったです。アンジュルムさんの曲じゃなくて、なぜJuice=Juiceの曲を選んだかというと、それは私たちがアンジュルムのダンスを撮影した中、最近の曲がないからです。でも、「Fiesta ! Fiesta !」はJuice=Juiceのパリ公演のエンブレムじゃないかなと思って「ぴったりだ」というふうに思いました。もちろん、そのビデオはKabuki Studioに編集されたことも決断に影響がありました。 33 DegreesがYouTubeに投稿した参加者のビデオをメンバーみんなで見ました。正直、見るとテンションが上がりました。何年前から憧れているグループやソリストも参加することを意識して、モチベーションアップした同時にストレスもどんどん溜まりました。Amaitsukiの参加映像を見てくれる人たちはどんなリアクションをするのか。不安がありました。 同時、キャンディのSNS大作戦が始まりました。Twitterで毎日ビデオとかを投稿して、いろんな人にコンテストのことを知らせました。メンバーも自分のFacebook、Twitter、Instagram、YouTubeチャンネルで「いいね!よろしく」という作戦でファンを集めました。そして、初めて3か国語(フランス語、英語、日本語)でYouTubeライブとショールームをやってみました!とても楽しくて、またやりたいという気持ちです。 ミカン・ウメ・レモンのYoutube生放送 コミュニケーションは確かに大事なことなんですけど、組織もとても大変でした。コンテストの結果は5月25日だった。だから、パリ公演の前に一週間しかなかった。でも一週間でオーディオミキシングをする、衣装をプロデュースする、メンバーの役割配分を決める、ダンスナンバーを選ぶ、それは22人のその大きなグループで無理だと思って、実は結果が発表される前に、もし勝ったら何をするかという質問にしっかり考えました。もし勝てなかったら6月2日に何のカバーを一緒にするのかも予定しました。 キュウリ・スイカ・ミズ・ハルマキ 結果がついに発表されたとき、私の気持ちは微妙でした。泣いた子もいた、信じられなかった子もいた。私はもちろんすごくハッピだったけど不安がものすごく強かったんです。こんな大きいステージに立てられるのか、ハロプロのファンの目の前に立てていいのか、他の参加者は応援してくれるのか、みんなはどんな反応をするのかというのが怖かった。それでもライブ前、後一週間しかなかったからスタッフの一人として迷う余裕がなかった。Amaitsukiらしい元気なパーフォーマンスを皆さんに見せるため、頑張るしかなかった。なぜ「Oh ! My Wish」と「桜ナイトフィーバー」をオープニングアクトとして選んだかというと、それはAmaitsukiらしい曲だからです。一番目はフォーメーションダンスがかっこよくて、二番目は楽しいから、Amaitsukiのいろんな姿を見せられるんじゃないかなと思いました。 でわ、「え ?! でもどうやって? フランスの方々に住んでるでしょう? どうやって一週間で一緒に練習できたの?」という皆が聞きたかった質問に答えていきます。それは、いつも通り練習したけど速さは4倍でした(笑)。メンバーはバラバラだから、いつも一人で自分のダンスパートをコンピューターで練習したり、ビデオで細かいところを説明したり、フォーメーションダンスが書いてある紙を作ったりして、ライブの準備をしました。11人での練習は一つしかなかった、それは本番前の6月2日でした。しかも、皆はいつも忙しいし授業とか仕事とかもあって、リハーサルは午後1時にしか始まりませんでした。休憩もあまりなくて、午後8時までできるだけ真剣に練習していました。 ダンス担当の4人:キュウリ・パインアップル・ミカン、そして2番目の画像ミズもいる クリーム・マッチャ さて、思い出深いのその6月3日について自分の印象を書きたいと思います。ラ・シガルで集合時間は12時でした。午後8時のコンサートの前、後8時間。サウンドトラックチェックしたり、ステージに上がってみたり、また練習したりして、人生で一番ストレスを起こさせるような8時間でした。はっきり言って、アンジュルムさんと会うことをすごく楽しみにしていた。でも、夢は全部叶えられないよね。こんな素敵なステージに立てられることで十分幸せだと思うけど後悔がないと言ったら嘘になります。憧れているアンジュルムさんとちょっとだけでもグループとして会いたかったんです。確かに、遠くから見たことがありますけど話はできませんでした。でもね、Amaitsukiはとても前向きなグループだし、皆はポジティブだし、それでいいと思います。そして、33 Degreesのスタッフに聞いてみたら、静かにしたら奥からアンジュルムのリハーサルを見させていただきました。それはすごく感謝しています! その時にね、入ったらアンジュルムさんがこちを見て「Fiesta ! Fiesta ! 」のさびを歌ってくれた。それはもう、一生忘れられない大切な思い出です。ありがとうございます!十分も子供みたいに泣いたメンバーもいる(笑)。 でも一番感動したのは、アンジュルムの4人のメンバーがAmaitsukiのサウンドチェックをみてくれたことです。流れていた「Oh My Wish」が気になったのか、オープニングアクトはどんな感じになるのかが気になったのか、とにかくテンション上がって奥から応援してくれました。コールまでしてくれてとても感動しました。本番の時も幕の後ろからパーフォーマンスを見ていた子もいる。それは、想像してなかったことだからなんか築いた時もっと緊張してきた(笑)。でも、すごくいい思い出になったので「見てくれて本当にありがとう」と言ってあげたかったんです。 今まで書いたことを再び読んだらすごく大事なポイントを忘れたと分かった(笑)。ストレスだ! 7分だけだったのに45分のいつものライブとの緊張感は2倍~3倍強かったよ! 確かに一番最初のステージの前のストレスもすごかった...

前の記事にリヨン領事祭は人生一番いいイベントだったと書いていたんだけど、よく考えたらJapan Impactは一番になったと思う(笑)。録音技師さん、照明デザイナーさんとスタッフの皆さんは本当にメンバーも言うことに耳を傾けて、45分の間に楽しく素晴らしい劇場の舞台に出た。MCの時スイカの誕生日を祝いするためステージにケーキ買って来た🎂。彼女泣いていた(笑)。「桜の気になろう」と言うソングを歌っていてまだ泣いていた。あ~~ いい思い出がいっぱい! フランス語の諺にもあるようにで「努力の後は励ましだ」。嘘だろう !ライブ30分後みんなは仕事に戻った(笑)。スタッフがメンバーを献呈場へ連れて行った。三回2時間サインをする予定だった。もちろん来てくださったファンもいらっしゃったけど、グループはあまり有名じゃないでしょう。座るまま何もしなくては楽しくないから、みんなは踊って歌うことが始まった。3回ライブも同じライブを繰り返して踊った。メンバーにとって陽気な雰囲気をかもしだすって一番大事なことだから一番できることをした : 踊ると歌うことです。 週末終わってみんな一人一人は自分のところに戻った。でもやっぱりみんな寂しくてまた舞台に出るがほしくてたまらなかった。メンバーにとって幸運にも次のライブは4月1日からです。そしてまた次のは6月4日パリに行われるEpitanimeと言うイベントです、ただ私とミカンは日本から帰る前ライブに出られないから次の機会を楽しみにしています。また記事を書くから待っていてね=P 今回は本当に色んな人にありがたい気持ちがいっぱいで、だれからはじめる方がいいかわからないです(笑)。 とにかく最後まで読んでください まず着物を縫ってくれたヨウシュとパイナップルとキュウリ、リンゴ、レイシのお母さんにありがとうございました。助かりました! 次はPaul Suelとリンゴとレア。写真とかを取ってライブを撮影してくれてありがとう。 Beaulieu舞台のスタッフに優ししてくれて感謝しています。 そして最後にJapan Impactのスタッフには本当に本当にいろいろお世話になりました。拍手👏 ! ウメより 日本語訳:ミカン...

前に言ったんでしょう! Amaitsukiに入るのは冒険が好きということです。好きじゃなかったら、入らな方がいいですよね。転用された屠殺で撮影するとか、朝2時ごろ車を運転してイノシシ🐗にもう少しで衝突するとかは冒険だったんだけど、今回新しいのはもっと面白かったです。掩蔽壕(えんぺいごう)に寝たんですよ。じゃあ、ちょっと過去をさかのぼりましょう。始めにイベントの担当者と連絡を取った人間として、ライブ一週間前メールを受け取った。ローザンヌ中にある数月前イベントの担当者が取ったAirbnbは急にキャンセルされてしまった。アミアンタス問題があったそうで。つまり、寝る場所がもうなかった。一週間で何か見つけるのは大変だし、13人にホテルを払うのは高いし、ついに掩蔽壕に寝ることが決定した! ! ! ! 「そんなことってありえない! !」と思っているんでしょう。漫画の女傑になった感じだったx) 。始めはびっくりしていたんだけど、何かワクワクしてすごく楽しみにしていた。記事をもっと面白いにするための冗談じゃないよ、本当だ! スタッフからローザンヌのSwiss Federal Institute of Technology下にある 掩蔽壕に寝る提案を受け入れた。掩蔽壕よ! !すごくない?一生一回だけなチャンスと思った! ! と言うわけで皆一緒に冒険を試みた! さっき断水の話をしていたよね。実は断水がなかったけど、戦争の時自分を洗うのは当然優先じゃない。温かいシャワーにさよなら、冷たい水、赤ちゃん用ウェットティッシュ、防臭とドライシャンプーにようこそ=D ! この三つはAmaitsukiに入ったら買わなければならないものだ。どんな状況でもAmaitsukiのみんなは笑顔で立ち向かうよ! ついにライブの日になった。6時に運隊のらっぱ手📯で起きて、化粧、ヘアースタイルの準備が終わって9時サウンドチェックに劇場に集まった。でもあんなに大きいなステージで踊って歌うなんて思うより難しかった。自分の声がうまく聞こえなくて、メンバー一人一人がもっと大きな声で歌ってみたから結果はあまりきれいじゃなかった。しかし30分だけでステージになれるしかなかった。その後コスプレのサウンドチェックが行われたからです。自信を失わなくて、楽室に行って計画を立てたwwwww。まだ書いていなかったけど楽室は劇場の本物の楽室だった!鏡の周りに光もあるし、シャワーも使えるしカッコよかった。そしてステージに何が起こっているか画面で見えたんだよ*O* ! Japan Impactってすごいよね。   ~ 続く。。。~ ウメより 日本語訳:ミカン...

物語は2月17日(金)に始まる。霧がかかっている朝だった。リヨン、パリ、リールからバス、車、電車とかでATのメンバーはチョコレートの国へ向かう。数月準備後、初めてスイスのステージに立つ時間になった。しかしこのステージは平凡なステージじゃない、国のすごくきれいで有名なthéâtre de Beaulieuで踊ることが決定した。バルバラ (歌手)、 エディット・ピアフ 、セルジュ・ゲンスブールとかが立っていたステージだ。 外国で踊れるなんて初めてだったんですが、こんなに広いステージに立つことは一番チャレンジだった。この状況でもちろん練習時間記録が超えられた。それはそうですよね。全国に離れている13人で45時間の踊って歌って楽しめるライブを完成するためには練習しなければならないじゃないですか。1月、2月中は寒いかもしれないけど、お金があまりないので外で踊るのは当然だ。あるメンバーが病気になってしまったんだけど、金曜日5時ローザンヌの駅に到着した時にはみんながワクワクすると病気のことを忘れた。駅の前にスタッフが待っていて、一緒にミニバスでイベントのところへ行った。そこで本番前の最後のリハーサルが行われた。スタッフの皆さんが本当に優しいし、アペリティフケーキと飲み物を買ってくれた。いつもは何ももらわないからこそびっくりしたんだけどみんな喜んでいた。Japan Impactのオフィシャルコップももらってよかった。   一番面白いポイントはこれからだ。一生忘れられないことだ。いったい何だろう ? 何があったのだろう ? リヨン領事祭の時には自転車大会のせいで危うく遅れそうになった。今回いったい何があった ? 断水? 戦争? 何か混合だ。。。 続く。。。 ウメより 日本語訳:ミカン ...

やっと9月11日日曜日だ。思い出がたくさんあって、どこから始めるのは知らないよ。では、怒ることから始めましょう。 甘い月のメンバーは皆うれしくて、ベルクールに行く市街電車に乗った。突然市街電車は止まった。・・・大きいストレス・・・その日はリヨンでエベントが行った。道路に自転車をする人が300人以上いたので、道路は込んでいた。それに、市街電車は進むことができなかった。その時は「大丈夫よ。慌てる必要はない。時間がある。もうすぐ市街電車は進むことができる」と甘い月のメンバーが思ってた。でも、全然そうではなかった。長い間の後にまたサイクリングをする人がいたよ!(゚Д゚;) . 誇張ではない!30分ぐらいの後はとうとう市街電車は進むことができた。   日本の展示場所に着いて、江口敦子さんとオタセカイと言うアソシエーションは甘い月を温かくもてなした。 9月になったのに、暑かった。甘い月はモーニング娘の曲「愛の軍団」の厚い服を着た。大変だった。ι(´Д`υ)アツィー で、日本の展示場所は無料でかき氷をくださった。(〃^¬^〃) 抹茶を食べるのは初めてだ。ちょう美味しかった~!(*´u`*) 小さいステージをした後は、時間が残った。私はミカンと一緒に色々な展示場所を見に行きました。他のメンバーはお弁当を買ったり、日本の展示場所で書道をしたりした。 大きいステージの前に、甘い月のメンバーは皆「頑張りましょう!」と言った。それに、オチャはやる気を起こさせるために上手だよ。私はその時「何か忘れたのかな。。。メンバーは皆ここにいるの?全部のマイクはあるの?曲は?次の曲、マイクを取るメンバーを知ってるの?」と自分に聞いた。オチャの言葉は私にとっていい刺激になった。 大きいステージにYoutubeでビデオを見てください。(人´∀`) 私にとって最高のステージだよ!舞台の形は「T」で、すごかったよ。観客はあまりオタ芸をしなかったが、甘い月がダンスを踊って、歌を歌うのを見ながら、うれしい顔があった。(フランスにはオタ芸をすることは普通ではない)。観客の大部分はアイドルのことあまり知らなかったけどね。でも、ステージが終わってから、大勢の人は名刺を頼んだ。本当に嬉しかった。 在リヨン日本国領事事務所の所長の小林龍一郎はステージを見に行ってくださった。ス テージの後に甘い月と写真を撮った。 その週末は素晴らしかった。 在リヨン日本国領事事務所の親切な招待どうもありがとう!きれいな経験だった! どうもありがとうございました !...

9月9日金曜日は晴れた日だった。私はミカンとパイナップルとナッスと一緒に車でリヨンへステージをしに行った。 パリ郊外に住んでて、金曜日だったので、道路が込んでいた。長い道のりを行ったので、パリとリヨンの間にあるサービスステーションに車を止めた。パイナップルとナッスは車を降りて、巨大なブドウを持っていた!びっくりした!(゚Д゚;) 「あのー・・・ちょっと待ってよ。そのブドウを持ってて、サービスステーションに入るつもり?」と私が聞いて、「・・・うん、ブドウを洗っていくよ」とパイナップルとナッスが答えた。 「ええっ?でも、この時間にサービスステーションに大勢の人がいるんだろう。トイレにブドウを洗いに行くなんて。。。それはちょっと。。。」と言ったが、二人は構わずにブドウを持っていて、サービスステーションに入った。サービスステーションで人々に変だと思われたはずだけど、ある女の人は 「あ、あなた達もサービスステーションでブドウを洗いますか」と言った。それから、 「ほらね、私だけじゃないよ」と彼氏に言った。 そっか、そっか・・・前言を撤回する。サービスステーションにブドウを洗いにいくことは全く普通だ。そうだね。わかりました!(笑)   甘い月と言えば「今夜は寝ない」や「今夜は少し眠る」と思うでしょう。これはやっぱり事実だね x)。スローガンになるかもしれない。(ねモモ、どう思う ?) 私達4人は、零時ごろリヨンにやっと着いた。他の甘い月のメンバーはみんな長時間前からリヨンにいた。まー、電車のほうは速いだもんね。でも、同一車の複数の人による利用の方が安いんだよ。(*`艸´)ウシシシ 皆は夜遅く練習をした。でも、疲れたから、練習をしないで、眠った。翌日は練習のために7時に起かなければならなかったからです。     9月10日土曜日だった。雨の日ではなかった。ラッキー!一日中甘い月のメンバーは一緒に練習をした。率直に言って、ベルクールのステージの準備はあまり簡単なことではなかった。確かにメンバーの大部分は舞台に立つことに慣れて、ダンスは知るダンスを選んだが、ステージに12人で踊ることは初めてだった。それに、全部はフォーメーションダンスばかりで、やっぱり不安がいっぱいだった。でも、甘い月のグループはチャレンジが好きだ。 次の記事はステージの時と小林さんと言うリオン町の領事との出会いのことで、ぜひ楽しみにしてください。 以上ウメでした。 翻訳者: ミズ ...